凡人論

ういっちゅ〜
さてさて、今日は書く事がないので勝手に独り言を書きます。まぁ暇人の独り言とでも思ってください。

 そもそも人間社会では「偉人」「英雄」を崇拝する習慣がある。「救国の英雄」「偉大なる〜(略)」といった感じで。英雄とは多くの人から指示され、自分たちを引っ張っていってくれる人、偉人とは今まで考えつかなかった、もしくは考えても実行できなかった革新的なことをやってのける人を指すわけで。
 では英雄は常に必要か?答えはNO。英雄とは非常時においてのみ現れる人であり、唯一絶対の存在。同じ時代に英雄は2人いらない・・・なぜならその英雄同士が争い、多くの人を巻き添えにする結果となるから。
 偉人は常に必要か?これは微妙なところだが、私自身は常に必要とは思わない。革新的なことは現在の人にとってはとても有効なものでも未来ではそうとも限らない。車、原子力、フロン、ダイナマイト・・・様々なものが発明され、悪用されていった。
 
 英雄は1代で終わる、その子どもは血だけでは英雄にはなりえないし、素質はあっても先代ほどのカリスマ性を持つことは容易ではない。
 偉人も1代で終わる、子どもが意志を引き継いだとして、構想は親のもので子どもは引き継いだに過ぎない。要は発想し、実際に行い始めた物が偉人となりうるのだ。

 英雄や偉人は必要とされない時代が来る。英雄は危機を脱するとその存在価値は著しく減退する。偉人は結果が評価されてもそれ以上はなかなか望めない。

 私は凡人でありたいと思う、特記できる事項も特になく、すべてにおいて人並みで、人並みの幸せをかみ締める。それが私にとっての幸福、必要以上の名声や権力はいらない。
 そしてこれが私の一番かなわない夢、すべてが平凡なんてありえない。物事には必ず優劣がつき、平凡なんてものはめったに存在しない。平凡とは中間ではない、誰が見ても良くもなく悪くもないと思える状態である、すなわち平均によって左右される中間ではない。
 平凡であること、世界中の人間が平凡ならば永久に戦争は起こらないだろう。宗教や文化、思想といったものに縛られずに平凡にコミュニケーションが取れるから。
 世界中が平凡ならば貧困問題はないだろう。世界中の人が人並みの慈愛精神を持ち、その前に格差が生じることもない。
 世界中が平凡ならば犯罪が起きることもない。世界中の人が普通の法律を普通に守るだろうから。
 世界中が平凡ならば苦しみから解放されるだろう。人並みに悩んだあげく、人並みに解決できるから。
 
 人並みに考えれば人並みにしか進まない。でも究極の平凡であろうとすればするほどに人は少しずつ進歩していける、その過程に無理が生じることはないだろう。すべてを平凡であろうとするのに人は努力できる、平凡であるがゆえにすぐに飽きることもないだろう。平凡であることは難しい、だからこそ私は平凡であることに魅力を感じる。私は凡人になりたい。人並みに勉強し、人並みに働き、人並みに考え、人並みに結論を出し、人並みに恋愛をし、人並みに家庭を築き、人並みに幸せを掴み、人並みに死んでいきたい。